第30回佐賀青春寮歌祭に参加して

update: 2022.11.21

 佐賀青春寮歌祭はコロナ禍で2回中止を余儀なくされたが、今回は規模を縮小し、コロナ対策を取りながらの開催となった。事務局も苦渋の判断であったろう。寮歌・応援歌とその振り付けは高齢者にとっては忘れてしまいがちであり、守り続けるためには開催は必要であったろう。私もコロナ禍の影響が無ければ、支部会・地区会・役員会や卒業謝恩会で年に5・6回は披露するので忘れないが、丸3年のブランクがあり、我が佐賀大学同窓会も不安の中やっとのこと思い出して慌てて練習したしだいである。
 例年は25校前後の参加だが今回は16校であり、また、各校とも本部からの応援は少なく、参加人数も例年よりかなり少なかった。九工大明専会はそう遠くは無いためかほぼ例年と同じ参加だった。例年の名城大学の羽織・袴姿の老齢の方の名城節「ここは尾張か」を舞う姿は無かった。東京農大の大根踊りも少人数であった。我が佐賀大学も合唱団コーロ・カンフォーラには出場依頼は行わなかった。例年最後を飾る早稲田大学は第二校歌と呼ばれている村田英雄の「人生劇場」の口上入りは毎回楽しみにしているが、今回は無くて残念であった。こうして寮歌祭は幕を閉じた。終了後懇親会はいつものいわしの天ぷら・竹輪の肴にビールと地酒と須古寿司であった。皆事務局の大宅公一郎氏に感謝の言葉を述べた。コロナ禍が早く治まって以前のような賑々しい寮歌祭になってもらいたいものだ。
 参加者全員で歌うプログラム”みんなで歌おう”がある。これは旧制高校の歌の中で愛唱され続けてきた曲ばかりである。一高の「嗚呼玉杯に」や三高の「琵琶湖就航の歌」と肩を並べる「吉井浜思い出の歌」がある。この曲は佐高水泳部歌であり、当時佐高水泳部は糸島郡福吉の大法寺で合宿を行い全国制覇を10回近く成し遂げている。この歌は福吉の女性合唱団などで歌い継がれ、今でも福吉中学校の文化祭で合唱されている。歌詞の「海士の乙女」とは部員が合宿の合間よく通ったゆで卵を売る駄菓子屋のきれいな娘がモデルであるという。また歌詞の「姫島と野村の尼」とは野村望東尼で歌人、黒田藩勤皇の女傑で西郷隆盛や高杉晋作らと国事に奔走、姫島の獄舎に繋がれたが高杉晋作によって救出されたという。また大法寺(禅寺)には大きな銀杏の木があり、住職夫妻には子供が無く,合宿に来た水泳部員たちを我が子のようにかわいがったという。このようなことが楠葉同窓会発行の「歌は流れる」に綴られている。一読されれば先輩達の偉業がわかり、愛学心も沸いてくるのでは。
 数年前、菱実会会長の代理で大分支部総会に参加し、巻頭言と「南に遠く」や「楠の葉の」を披露したことがある。帰りは久大線を利用したが、半日近い時間を要した。その道中、卒業論文を一緒に取り組んだ原口勇夫君の事を思い出していた。彼は不知火寮生であり、卒業謝恩会の後で寮に案内してくれた。酷い寮で真冬でもストーブや電気こたつが使えないという。その原口君は巻頭言と寮歌「南に遠く」を4年間歌い続けているはずだ。一緒に「南に遠く」を歌い踊ってみたいと思った。帰宅して早々同窓会名簿を調べて、連絡してみたがすでに住所は変わっていた。また卒論や修論に付き合い、きめ細かく指導して戴いた吉野英弘先生の訃報を寮歌祭前日に知り、寮歌祭当日葬儀に参列した。このとき同窓会名簿がこんなにも重要なものだとつくづく感じた。
 寮歌は老化を駆逐しつつ、残りの人生を豊かにしてくれる。そんな思いで皆が寮歌祭に参加しているのでは・・・是非一度寮歌祭に参加されてみては。

(菱実会副会長:島 公二武)
 

【佐賀青春寮歌祭の様子】