半世紀ぶりの佐賀を訪ねて

update: 2020.02.14

河北宏一

 2月3日節分。大学に所用あり、40数年ぶりに早春の佐賀を訪ねた。

 旧国道34号線、県庁前のお堀端は殆ど昔のままの姿だったが、大学の周辺は一変していた。当時、車がやっとすれ違える程度だった大学前通りはなんと片側三車線のバイパスに拡張されていた。一膳飯屋、飲み屋、麻雀荘、八百屋、喫茶等学生生活の数々の思い出を残してくれたこの通り一帯の記憶は、この大通りの下に埋め込まれてしまったようだ。

 学内に入ってみる。正門付近には学生自治会や大学生協の建物があったが、大学美術館に生まれ変わっていた。学生寮(不知火寮)跡はポケットパークに、シンボルの正門も洒落たモニュメントに様変わりしていた。「さすがに差が大(佐賀大)」だった。(佐賀にわか風にオチをつけてみました。😄)

 しかしながら、メインストリートのラクウショウ(落羽松)並木、教養大講堂、学部棟は以前のままであり、ある意味ホッとした。

 学食(学内食堂)に立ち寄る。和風ハンバーグ定食450円、カレー230円、うどん200円。世間と比べると格段に安いが、それでも50年前の45倍にはなってる。ハイライトが確か80円だったもんなー。当時、定食は来る日も来る日も鯖か、筋あり鯨肉だったことに閉口したなあ。今はレストランの雰囲気も、メニューも、味も、学生のファッションもモダンでカラフルだ。隔世の感あり。

 私は丁度50年前の1970年に佐賀大学に入学し、四年間佐賀の街にお世話になった。きょう目に入った佐賀の情景は私にとって何もかもが新鮮な驚きだった。変わったもの、変わっていなかったもの、失ったもの、新しく生まれたもの。まるで自分の人生模様の如く。青春に折り合いをつけて、人生にも折り合いをつけてきた。

 愛する人と歩いた城内の散策路、初めて手を組んだ神野公園での桜の香り、口喧嘩して泣かせた彼女の嗚咽を聴いてくれた体育館前の噴水、……。まだ残ってくれてる?

 4月になると、お堀端の楠もまるで青春に戻ったように元気を取り戻すことだろう。その時分にたっぷりと時間をとって佐賀の街をゆっくり歩きたいと思う。当時の恋人(現伴侶)と一緒に、そして三人の幼い孫たちと手を繋ぎながら。

 丁度入学して50年を数える我々は、今年古稀を迎えるかあるいは迎えた直後の世代である。この記念すべき年に学部学友が集う同期生会を聖地佐賀にて秋に実施することになった。全国に散らばってる経済学部OB107名の諸君たち!元気かいなー。キャンパスのラクウショウ並木がオレンジに染まる11月に「第九回佐大ホームカミングデイ」が開催されます。これに時を合わせて、佐賀に戻って来んね。半世紀ぶりのラクウショウと対面せんね!教養大講堂前スクエアで会うバイ。

 詳細は楠葉同窓会ホームページへアクセスのこと。

 70E121 河北宏一

「十代に戻りたいのか堀の楠、乱反射する青春の影」